ある日突然推しが引退した。
2017年10月10日。
この日のことは今でも覚えている。
大学の授業が2限からで、朝8時30分に目が覚めた。
いつものようにTwitterを開いた。タイムラインを見た。なぜかフォローしている人達が朝からショックを感じていた。
あまりに信じられなくてトレンドを確認した。ネットニュースの記事へ飛んで読んだ。まだ信じられなかった。
どこかのガセなんじゃないかと思った。でも阪神を必ず一面にすることで有名なデイリースポーツの記事にも一面で大きく取り上げていた。
まだ信じられなかった。
9時ぐらいになって、公式ブログが投稿した。
これを読んで、初めて彼が今日引退することを実感した。涙が止まらなかった。このまま学校に行きたくなかった。それくらいのショックだった。
★新井良太(あらい りょうた)とは
内野手。駒澤大学から2005年ドラフト会議で中日ドラゴンズに4位指名。2010年末にトレードで阪神タイガースに移籍。兄は広島東洋カープの内野手・新井貴浩。2011年から2014年まで兄弟揃って同じチームで活躍していた。2017年に引退。2019年12月3日現在では阪神タイガースの一軍打撃コーチに就任。
彼が数年間打てていないことは事実だった。4番を経験して、低迷する虎の救世主の如く活躍した2012年の頃が最盛期だったと今なら言える。それでも彼のがむしゃらに練習する姿や、野球に対する真摯な姿勢は変わらず、ずっと応援していたい選手であった。何よりも彼の長打がまた見たかったのだ。
毎年オフになると、減俸、減俸。虎党の方からは「良太は何故戦力外にしないのか」という声が聞こえるくらい、年々シビアな境遇に立たされていた。
その中で『超変革』と呼ばれる若手の起用が増えてきた。内野の定位置も、代打の切り札もどんどん若手が台頭してきた。
2017年は極めてシビアだったと思う。代打のチャンスをもらったが、活躍できなかった。結局一軍での打率は1割にも満たなかった。二軍の生活が続いた。二軍では要所要所でヒットやホームランを放っていた。早く一軍での活躍が見たかった。でもそれを見ることは叶わなかった。
9月下旬になれば、プロ野球は終盤戦になり、戦力外になる選手や引退する選手がどんどん発表されていく。プロ野球ファンならあの時期はとにかく地獄である。別れがやって来るのだ。
まさしく私もその中の一員であった。せめて戦力外になっても他のチームが拾ってくれる。今の阪神に居場所がないのならトレードでもいいから新天地で活躍してほしい。そう願っていた。勿論縦縞のユニフォームで最後までいてほしかったが、とにかく彼に野球を続けてほしいことが最優先だった。
引退を発表したのは阪神の2017年公式戦の最終試合だった。雨で順延したため、本来その日には試合が無かったのだ。もしかしたら彼の現役最後のユニフォーム姿を見ることなく終わっていたのかもしれないと思えば、今でもゾッとする。
今からでも甲子園へ行こうと思っていたが、流石に富山から今から行くなんてかなり無理があったし、何より授業があったので学業を優先した。その代わり、石川の実家で試合の録画、そしてデイリーなどの朝刊を買ってもらえるよう頼んだ(富山にはデイリーが売っていないという事実に初めて気付いた)。
授業が終わり、Twitterと結果の速報を追った。遂に代打で回ってきた。結果はショートゴロ。全球ストレート勝負してくれた福谷投手に感謝したい。
これで終わりだと思っていたが、まだ彼の最後のユニフォーム姿は終わらなかった。慕っていた鳥谷選手とのキャッチボール。守備練習をしていた。
そしてサードの守備位置についた。その時はTwitterや速報の文字でしか見られなかったが、後日実家で映像を見たときに号泣した。新井お兄ちゃんがファーストで、良太がサードやった時代もあったなぁ、懐かしいなぁ。サードが似合うなぁ。色んな感情が入り混じった。
マウンドは安藤投手だった。安藤投手はこの試合が引退試合だった。
後日談ではあるが、良太選手は「今日の主役は安藤さんだから目立たないようにしていた」そうだ。同じく中堅で、同年引退した狩野選手は二軍戦が引退試合だった。良太選手は「僕みたいな選手が一軍で最後を迎えてすみません」と電話を掛けたという。最後まで彼は律儀だった。こういうところが好きだ。
バッターは中日時代の同僚だった野本圭選手。彼の打ったボールは三遊間を抜けそうな当たりだった。
が、良太選手が飛びついて捕球、そのままファーストに投げてアウト。
これには観客は大歓声だった。スポーツニュースでは大きく取り上げられていた。画面に映る良太ファンのお姉さんがワンワン泣いていたのも印象的だった。
それで終わりかと思えば、8回裏。
泣いても笑っても現役最後の打席が回ってきた。背番号32の最後の打席である。
結果はフェンスギリギリのレフトフライだった。
彼はホームランを狙いにいったらしい。最後まで長打を貫く彼の姿はかっこよかった。
試合は勝利を収め、安藤投手の引退セレモニーが行われた。良太選手は脇役に徹していた。
ところが、安藤投手の計らいで、二人揃ってグラウンド一周をさせてもらったのだ。最初は良太選手は断っていたが、一緒に連れて行ってもらった。
この時彼の笑顔がきごちなかった。あんなにいつもニコニコして明るい彼の泣きそうな顔がとても印象的だった。
こんなに最後まで愛される選手だったのだ。応援していて良かったと感じた。
現地ではなかなか彼の打席が見られなかったが、画面越しではあるがずっと彼の活躍を待ち望んでいた。
翌日会見が行われた。
最後の最後まで背番号32は笑顔だった。すごく晴れやかな顔をしていて、昨日の試合が全てを物語っていた。
その後阪神の二軍育成コーチに就任。
1月には引退記念のトークショーが開催された。
ここでは最後、良太選手本人と一人一人が握手するという機会が訪れた。
「いつまでも貴方はヒーローです」
頑張ってそう伝えた。
彼は「ありがとう」と笑顔で答えてくれた。
自分の番が終わった後、号泣したのを覚えている。
出会いもあれば別れもある。プロ野球だってサッカーだって、他のアイドルだっていつまでも舞台で輝いていることは不可能である。どこか違うチームだったり地域に移籍することもある。卒業や引退もある。彼ら彼女らはいつ目の前からいなくなるかは分からないのだ。
だから会いに行ける時に会いに行って欲しい。私は今でももっと現役時代を見ておけばよかったと後悔している。
特にプロ野球選手で、ユニフォームを晴れやかに脱ぐことができる選手はほんのわずか一握りである。だからこそ一軍でも二軍でも見に行って欲しい。応援して欲しい。心残りのないように。
私はこの夏休みに鳴尾浜へ二軍戦を観に行こうと計画を立てている。まだコーチの良太さんを見るのに慣れない部分が多いが、球場で頑張っている姿を見に行きたいと思う。
最後まで読んでいただきありがとうございました。