ひとりがたり

なんか喋ってるな程度に思ってください

会えることが当たり前だと思っていた

2020年が終盤に差し掛かってきた。
まだ一年が終わってはないが、今年は新型コロナウイルスの一年だったと現段階で言ってもおかしくないだろう。
ニュースでも毎日報道され、"新しい生活様式"というものを実践しなければいけない年であった。

そしてたくさん耳にしたのが自粛という言葉。
緊急事態宣言が出され、全国的に外出自粛を要請された。ライブや演劇などといった娯楽のイベントも軒並み中止・自粛となった。

オタクからすると、推しを生で見るということが一種の生きがいである。私と同じような地方住みは遠征して、その会場付近の観光地を旅したり名物を食べたりして楽しむのも遠征の醍醐味だ。
それらが全くできない世の中2020。こんな状況を誰が予測できただろうか。あのノストラダムスもびっくりだろう。

遠征して推しを生で見ることが日々のモチベーションだった私は限界だった。
今年度大学を卒業するので、社会人になるための就職活動をしていた。新型コロナの影響で、今まで「オリンピックのお陰で売り手市場」と言われていたものが一変した。
精神的に不安定なのもあり、単位が足りないので4年生でも講義を取らないといけなかった(これは完全に自業自得)。前期の授業は全てリモートに変わった。
一方でアルバイトはスーパーのレジ打ちだったので、緊急事態宣言が発令しても学校がリモート授業でも出勤せざるを得なかった。当初はいくら透明なビニールシートの幕を貼ったって、手袋をしたって、不安で不安で仕方なかった。
もっと大変な環境にいらっしゃる方はたくさんいらっしゃると思うが、学生の私にとっては気持ちをどう持っていけばいいのかわからなかった。とにかく先が見えなかった。

そんな状況で、唯一の心の安らぎとなったのは私の長年の推しである高学歴お笑いコンビ・ロザンYouTubeチャンネル『ロザンの楽屋』だった。

本人たち曰く別にコロナの時期を見計らって始めた訳ではないらしいが、コロナ禍の中では絶大なる癒しだった。
基本毎日(18時更新)動画がアップされ、10分前後ノーカットノー編集でただひたすら二人が"普段の楽屋で喋っているように"話しているものだから、気を張らずに見られた。
関西ローカルの番組中心にレギュラーを持っている二人なので、ファンといえども地方住みだとなかなかロザンの姿が見られないという点があった。
宇治原さんが出演するクイズ番組はあるが、やはり菅さんと一緒にニコニコ笑っている宇治原さんが一番好きなので、毎日二人の姿が拝めてとても満足であった。
さらに、私はロザン二人の物の見方が長年好きである。冷静かつ丁寧にディベートしたり、見ている側(劇場では観客だし動画だと視聴者)へ理解させるようなフォローも入ってて、本当に二人の話し合いは聞きやすいのだ。
あと純粋に見た目も好きだ。二人ともスタイリッシュというか清潔感がある。菅さんは完全に"みんな大好き♡菅ちゃん"だし、宇治原さんはスーツがバチバチに似合うスタイルの持ち主。何度YouTube見ながら拝んだことか。

吉本の劇場も公演を自粛していたが、6月〜7月くらいから座席の感覚を離すなどして再開された。しかしその時は、まだ遠出して見に行くことに抵抗があった。
やっと少しコロナの感染者の数が落ち着いてきた11月の頭、京都・よしもと祇園花月でロザンが主催で行っている『ロザンの日本向上委員会』というイベントを観に行った。かれこれ8ヶ月ぶりの舞台観劇だった。
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ロザンが舞台袖から登場した瞬間、いろんな感情が通り過ぎた。
ああやっと会えたんだ。生の二人は相変わらずかっこいい。笑顔がめちゃくちゃ輝いて見える。二人の会話の空気感、やっぱり好きだなぁ。二人のボケとツッコミが心地よい。二人の喋りはやっぱり面白いなぁ。

そしてじんわりと喜びが広がった。
生ってこんなに良かったんだ、と。

もちろんコロナ禍なので、全てが全て生身の人間と会えるイベントが開催できるとは限らないし、生でのイベントと配信などのオンラインイベントの優劣をつける気持ちは全くない。それぞれの良さはあるし、「有観客でやりたい」というのはイベント主催者側が現在葛藤している部分であるとは感じている。
こうやって私が劇場に行けたのも、たくさん笑って満足したのも、吉本のスタッフさんが色々対策をしてくださっているお陰である。本当にありがとうございます。

約8ヶ月間、「いつ私はロザンに会えるんだろう?」とたくさん悩んだ。
こんなに、イベントがあること、それに向けて遠征すること、生の推しに会えること全て当たり前だったのが、急にそうじゃなくなったのを感じて、恐怖を覚えた。
久々の生の劇場は、その当たり前だった喜びを噛み締めるものだった。
だからそのありがたみを感じて、私は今日も生きるのだ。